文明多様性の考え方

文明多様性協会(Global Association of Civilizational Diversity)とは、周辺文明のグローバル・ネットワークのプラットフォームを提供する組織です。中心文明と周辺文明とが適切な関係を保ち、人類全体としての文明の進化を進める枠組みを、文明多様性(Civilizational Diversity)と呼びます。

周辺文明(Peripheral Civilizations)とは、簡単に言えば、近代文明に代表される中心文明(Central Civilizations)の圧倒的な力によって世界の片隅へと追いやられつつも、高い創造性と自らの社会の伝統に対する深い敬愛をもって、今なお独自の社会システムを維持し、発展させている社会のガバナンス原理のことです。周辺文明とは、具体的には、先住民社会、少数民族社会、離島等他の地域と物理的に隔絶した社会(隔絶社会)等を思い浮かべていただければ結構です。それらを総称して、周辺社会(Peripheral Societies)、と呼びます。

周辺文明(Peripheral Civilization)と中心文明(Central Civilization)

そのような社会において用いられているガバナンス原理が、周辺文明です。ガバナンス原理とは、社会を統治するための様々な制度が立脚する、基本的なものの考え方のことです。法律も、行政機構の制度もある特定の考え方に立脚して構築されています。そのような基本的なものの考え方のことをガバナンス原理と呼びます。応用情報社会学(Applied Infosocionomics)の文明進化史観(Studies of Civilizational Evolutions)では、社会のガバナンス原理のことを文明として捉えていますので、ここではそれに倣います。すなわち、先住民社会、少数民族社会、隔絶社会等周辺社会において用いられているガバナンス原理を、周辺「文明」として、中心文明とは別の、しかしながら同格の文明として捉える、ということです。

隔絶社会等周辺社会において用いられているガバナンス原理を、周辺「文明」として中心文明とは別の、しかしながら同格の文明として捉える

周辺社会においては、近代文明社会等の中心社会(Central Societies)とは別のガバナンス原理によって社会が統治されていることは広く知られているところです。一方で、中心社会のガバナンス原理は、全く何の疑念もなく中心「文明」と呼ばれているのに対して、周辺社会のガバナンス原理を「文明」と呼ぶことは、未だに躊躇されているのが現実です。

なぜでしょうか。

幾つかの原因が考えられます。例えば、中心文明である近代文明の中に棲む私達は、周辺社会のガバナンス原理について、あまりよく知らなかった、ということがあります。かつては近代文明の側は、自分がよく理解していないだけなのに、周辺社会を野蛮、未開、等と蔑み、自分達は文明であり、周辺社会は文明ではない、と断じたのです。これが19世紀帝国主義時代から20世紀半ばにかけての状況でした。この時期に自らを「文明人」と称していた人々は、このような偏見を大いに恥じるべきです。

一方、20世紀後半には、文化人類学等の急速な発達等により、このような偏見は大きく払しょくされ、周辺社会においても、近代文明とは大きく異なる独自の優れたガバナンス原理に基づく社会システムが構築されていることが広く知られるようになりました。21世紀の今日では、通常の人々であれば、周辺社会はそれぞれ独自に高度に洗練された社会システムを構築しており、それを野蛮、未開等と呼んだりすれば、自らが人類普遍の基準に則って野蛮、未開であることを晒すことになることを知っています。帝国主義時代と比べて、近代文明人の「民度」は各段に向上したと見ることができます。

帝国主義時代と比べて、近代文明人の「民度」は各段に向上した

それでも!

それでも!

周辺社会のガバナンス原理を、近代文明と同格の文明と見ることについてはどうでしょうか。多くの人々が、ホンネでは、周辺社会のガバナンス原理について、それはそれなりに立派なものではあるとしても、人類史上空前の近代文明と「同格」の文明として捉えることには、大きな抵抗を感じるのではないでしょうか。

結局のところ、帝国主義時代と比べて「民度」は各段に向上したとしても、今日の標準的な近代文明人の考え方は、以下のようなものではないでしょうか。すなわち、周辺社会については、それを野蛮、未開と見做して中心文明である近代文明によって破壊し尽くすような帝国主義時代初期のようなことは絶対にやらない。それらは野蛮、未開ではなく、それなりに高度に洗練されたものであることを認める。しかしながら、それらは人数においても、経済規模においても、極めて弱体であるため、「可哀そうだから、保護」しなければならない(!)。

周辺社会は、このままでは絶滅していくので、「可哀そうだから、保護」しなくてはならない。これが今日の標準的な近代文明人の考え方なのではないでしょうか。

ここで繰り返すと、文明多様性協会とは、周辺文明のグローバル・ネットワークのプラットフォームを提供する組織です。

これだけ聞くと、文明多様性協会も似たようなものだと思われるかもしれません。周辺社会は弱いため、このままでは近代文明によって絶滅させられてしまうから、「可哀そうだから、保護」するために国際的連携を進めるというものなんだろう、と。

ところが!

違うのです!

文明多様性協会の目的は、周辺社会のガバナンス原理を、周辺「文明」として、近代文明と、内容は異なるものの、質的には同格のものとして捉え、そのグローバルな連帯を通じて、発展させることです。

その理由は何でしょうか?「可哀そうだから、保護」ではないのです。

ここが最も重要なところです。

周辺文明の健全な発展は、中心文明である近代文明を含めて、人類の文明全体の発展にとって不可欠なものだからです。

もう一度言います。

周辺文明の健全な発展は、中心文明である近代文明を含めて、人類の文明全体の発展にとって不可欠なものだからです。

周辺文明が健全に発展していくことは、周辺社会の人々にとっての関心事だけではなく、中心文明である近代文明の中に棲む人々、すなわち事実上今日の人類の大半にとっても、決定的に重要であるためです。周辺文明が健全に発展していくことが、周辺社会だけではなく、中心社会をも含め、地球上に棲む人類全体にとって、決定的に重要になるのです。

なぜか。

それを説明するのが、20世紀末から日本を中心に整備が進められている新しい社会科学である応用情報社会学において進められている文明進化史観研究です。これは、人類の文明がどのようにして進化していくのかというメカニズムを研究するものです。

言うまでもなく、今日、近代文明では数多くのシステミック・リスクが顕在化しつつあります。今日生じてきている数多くの深刻な問題は、最早、ちょっとうまく立ち回れば、ちょっとまじめにがんばれば、という話で何とかなるものではありません。それらは近代文明のシステミック・リスク、すなわち、近代文明という文明の構造そのものからもたらされている問題なのです。それらを解決するためには、近代文明という文明が、進化を遂げなくてはならないのです。

近代文明では数多くのシステミック・リスクが顕在化しつつある

では、文明はどのようにして進化するのか。私達は、近代文明をどのようにすれば進化させられるのか。それを研究するのが文明進化史観研究です。

その最先端の成果は何を言っているのでしょうか。

そこに注目しましょう。

そこで言っているのは、次のようなことです。

世界には中心文明と周辺文明とがあり、人口の圧倒的多数は中心文明に棲むこととなるものの、いかなる中心文明も完全無謬のものではあり得ず、必ずシステミック・リスクを内包する。そのシステミック・リスクを内包したままではやがてその中心文明は崩壊し、大混乱になるので、その中心文明は進化しなくてはならない。その中心文明の進化は、「周辺文明との邂逅によって自らが変容することによって行われる」、ということです。

すなわち、中心文明は、周辺文明と出会い、その優れた点を見倣い、取り入れ、また自らに欠けているところを反省すること等によって変容を遂げて行くのです。その変容が、進化となるのです。

したがって、人類は、常に健全に発展する周辺文明を持っていなければならないのです。健全に発展する周辺文明がなければ、中心文明は、システミック・リスクが顕在化したところでどうしようもなく、そのままずるずると崩壊への途を辿り、世界は大混乱に陥るのです。

周辺文明の健全な発展は、周辺社会の人々の僥倖になるのみならず、システミック・リスクが顕在化した中心文明に変容、進化の機会を与えることによって中心社会の僥倖をももたらし、結果として人類全体の僥倖に繋がるのです。

文明多様性協会は、直接にはグローバルな連帯の推進により、周辺文明の発展に資するものです。一方それは、周辺社会の人々のため、だけではなく、中心文明の変容、進化の機会をもたらすことで中心社会の人々のためにもなり、結果として人類全体のためにもなるのです。

いかがでしょうか。

文明多様性協会の心意気、御理解いただけたでしょうか。

周辺文明と中心文明との間の適切な関係を仲立ちする。

これが文明多様性協会の使命だと考えております。

中心文明である近代文明の、端的に言えば先進国の「上から目線」で「可哀そうだから、保護」する対象として周辺文明を見るのではなく、自らの近代文明がシステミック・リスクを克服するための変容、進化の機会をもたらしてくれる「師匠」として周辺文明に接することとなります。また、その結果変容、進化に成功したとしても、その新たな力で再び周辺文明を侵略、搾取、制圧するようなことはあってはなりません。文明多様性協会の活動も一助となり、中心文明に棲む人々が、世界は中心文明と周辺文明との適切な関係で成立し、人類の文明はその枠組みを維持しつつ進化していくことを正確に理解するならば、そのような愚かなことは決して繰り返されないでしょう。

先進国の「上から目線」で「可哀そうだから、保護」する対象として周辺文明を見るのではない
自らの近代文明がシステミック・リスクを克服するための変容、進化の機会をもたらしてくれる「師匠」として周辺文明に接する

また周辺文明の側も、帝国主義時代に近代文明に徹底的にやられまくり、また今日も社会的、経済的な困難に追いやられているという事実の先を見通し、自らが人類の文明の進化の鍵を握っているという立場を自覚し、グローバルな連帯を進め、自らのガバナンス原理に関する情報発信を拡大していくことが求められます。文明多様性協会は、真摯にその一助を担いたいと考えております。

以上、文明多様性協会の考えを述べました。

文明多様性協会は、誠に小さな、小さな組織です。一方、志は、3000年紀前半(2001年~2500年)の人類の文明の進化史を見据えます。

みなさまの御支援、心よりお願い申し上げます。

 なお、より深く知りたい、という方には、以下の教科書がありますのでお勧めいたします。2冊とも、日本語版と英語版で世界同時出版されております。

・応用情報社会学について

(日本語)公文俊平+前田充浩『応用情報社会学-発展途上国における情報社会構築の指南書』、ERISE出版、2021年。

(英語)Shumpei KUMON+Mitsuhiro MAEDA “Applied Infosocionomics – A Manifesto of Informatized Society Building in Developing Economies”, ERISE Press, 2021

*英語版は、米ドル、ユーロ、英ポンド。

・文明多様性について

(日本語)前田充浩『文明多様性と近代文明の進化-脳機能文明分析に向けて』、ERISE出版、2022年。

(英語)Mitsuhiro MAEDA “The Civilizational Diversity and the Evolution of the Modern Civilization – Towards the Brain Functional Analysis of Civilizations”, ERISE Press, 2022

*英語版は、米ドル、ユーロ、英ポンド。